「これも何かの縁ですから。」
このセリフが、僕は嫌いです。
天邪鬼と言われても仕方がないのかもしれませんが、
「縁」はスタートではないと思っているからです。
特に、仕事で巡り合って、少し時間の経った頃、
酒の席なんかでこの言葉が出てくると、
一気に酔いが覚めて、苦笑いなんかをしてしまいます。
その人のキャラクターにもよりますが、
例えばもうだいぶ慣れ親しんだ友人なんかには、
なんとなしにそういう価値観を当ててみたりします。
だけど、それ以外に出会いに感謝を表す言葉があるの?
そうですね。
あえて使うならば、「巡り合わせ」に感謝する。
でしょうか。
じゃあ、そういう風に言える人っているの?
いたんですよ!過去に四人も!
やっぱり、「縁」という言葉にちょっと違和感を感じる。
と聞きました。
その人と本当に縁が結ばれたかどうかは、
きっと、かなり後になってからでないと、
わからないからかもしれません。
「巡り合わせ」は必ず誰にでもある。
でも、「縁」はなんだかその事実を特別なものに感じることで、
「大切に知るべき。だよね。」
といった、暗黙の責務みたいなものを匂わすような気がします。
だから、僕はあまり「縁」という言葉は使わなくって、
むしろ、心がこの言葉を使わせてくれるタイミングを待っている。
そんな言葉です。
この話は、くどくなるのでまたにしましょう。
さて、それを「むすぶ」書ですが、
右の「士」に「口」は、もののふが聖なる器を守っている姿で、
器に宿る霊力を封じ込める意味があります。
古代、神事に仕えるもののふを「吉士」といい、
発する言葉はみな善とされていたので、
この言葉を書き、器に収め、
むすぶ行為を「善きことを約束(締結)する」儀式としました。
これに用いられた紐を、祝い紐といい、むすぶことそのものを、
霊力を宿す行為としました。(白川静 常用字解より)
今となっては、SNSなんかで、
「友達かも」
なんてお知らせが出てきてしまう時代。
それが、不吉なお知らせかもしれないし、
本当に人生を豊かにしてくれるお知らせかも知れない。
そこを吟味して、
小さな結び目をいくつも作って行くことも、
つながるという意味では一緒でないでしょうか。