2012年1月23日月曜日

空



元々は、「穴」のことをいいます。

「工」は虹のように湾曲したものの形。

下から穴を大きく広げてそこからみえたのは、丸い、何もないものだったことから、

「そら」としたそうです。



七年前、アメリカから帰って来て、一ヶ月くらいがたった頃でしょうか。

品川埠頭で日雇いの荷役をしながら、再渡米を目論んでいたはずの僕なのに、

うっすらと夜が明けてくるように、その想いや情熱が、

少しずつ少しずつ、日々薄れてゆくことに気づき、戸惑い始めていました。



その前職はバーテンダーだったので、

札幌での仕事の延長を、執念を孕んだ初心へと還す理由とするために、

外国人の集まる会員制のバーで働くことを考えていました。

当時家族で住んでいた横浜のマンションからは、

バスで三十分くらいのところ。

家族四人で十二畳一間の倉庫のような、

陽の光に乏しいワンルームで暮らすというのは、

あまりにも家族互いの気疲れが多すぎて、

それがやがて諍いに発展してしまうことを僕は恐れていたし、

現に、寝る場所が無くて、塩ビで出来た衣装ケースの上に、

波打つように薄い掛け布団をマットレス替わりに敷き、

毎晩そこで眠り起き、暗いうちからまたふたたび日の入りまで、

外国船から降ろされた馴染みのない名前の冷凍魚を黙々と運び、

パレットに高々と積み上げトラックに押し込む毎日に、

心も体も悲鳴を上げていたので、

気持ちの膜のようなものが破れそうになっている自分を、

傍観できなかったのだと思います。



運良く僕は、仲間にもお客様にも思う以上に恵まれたその環境に身を置くことができ、

近所の異国に、受け入れてもらうことができました。

僕の会話は片言であるにもかかわらず、彼らは自らを話す以上に、

なんとか僕のいわんとしていることを一生懸命に汲み取ろうとする姿勢に、

とても恐縮したものです。

ただ、僕の心にはそんな柔軟(にゅうなん)な彼らの気持ちに抗う、

どこか固く閉ざした部分も持ち合わせていて、

仕事を機に移り住んだ古いお寺の裏側にある四畳半のアパートで、

勤務を終えて飲む独り酒の量は、日を追うごとに増えてゆきました。



そんなある日。

高台に建つその施設の頭上は、強い風に春のあたたかさをまといながら澄み渡り、

グラウンドの向こう側の桜並木は満開で。

それを横目に、僕がバックヤードでの作業を終えてバーに向かっていると、

当時の主任が上を向いて仁王立ちしています。


「なんか、飛んでるんですか?」

「・・・タカさん、空って見たことあります?」

「空・・・ですか。」

「ええ。空ですよ。」

僕は咄嗟に、カリフォルニアの空を思い浮かべました。

空とはいえ、サンセットビーチに沈む太陽を思い浮かべただけで、

正確には空ではなく、潤んだ感じの日没の太陽。

「いえ。」

「空はいいですよぉ。僕は毎日必ず、見上げるようにしています。」

どうして彼が過酷な労働にも笑顔で取り組めていたのか、

うっすらと分かったような気がしたのは、なによりそのニヤリとした横顔が、

ゆとりという言葉によく似た説得力を湛えていたせいでした。


数ヶ月後、僕は田舎町のこころの病院にいました。

治療はとても長く辛いものでしたが、朦朧とし、鬱々とした日々の中でも、

欠かすことなく、そしていまだに続けている、空を見上げるという所作。

これは、空っぽになってしまった僕の心に、ほんのわずかだけれど、

いつも得体のしれない力の種を蒔いてくれたように思います。


それはたぶん堕ちてしまった、広さも深さもわからない人生の穴底から、

はるか頭上に健気に瞬くちいさな星のような光に向かって、

時に激痛を伴いながら剥がれ落ちてしまうであろう、

脆弱な爪の先にまで渾身の力を込めて、

ぎこちなくも登攀を進める宿命を日々、

引き受けることへの構えのようなものだと思っています。


そして、たまにその手を休め、光を静かに眺めることで、

やがて眼窩に飛び込む眩しいくらいの素晴らしい光景とその瞬間を、

額の奥底の、とある場所いっぱいに思い描き、

今をあらたに生きるという決意を自分の芯に深く打ち付けることなのだろうと、

まさに湾曲した穴の出口からボロボロの指先を覗かんとする僕は、

この字を描く度にあの日の空と、彼の不敵な笑みを思い起こすのです。



なにもない。

ということが、

あの日、

見上げたところに、

たしかにあったように。