2018年5月15日火曜日

水 water


スイ(sui)、みず(mizu)

流れている水の形を表した、象形文字です。

元は、
 や、

です。

真ん中のつながっている線が、大きな流れを表していて、
そばの点が、小さな流れを表しています。
大きな流れが三筋になって流れているのを表す時は、
線三本で「川」と書きます。

小さな水の流れは、凍りやすく、
氷の粒の形を二つつけて「冫(にすい)」となり、
「冰(こおり)」と書き、「氷」の元になっています。


English : water
Italiano : acqua
Irlandese : Uisce
हिन्दी : पानी(paanee)
Русский язык : воды(vody)
Français:Eau
فارسی:آب



2018年5月4日金曜日

挑 challenge




チョウ(chou)、いどむ(idomu)

読みの音は、「兆(チョウ)」。形声文字です。
元は、「撓(たわ)む」で、手でものを目一杯曲げることをいいます。
力を込め続けるとどうなるか。
ひび割れてきますよね。「兆」は「ひび割れの形」なので、
これを想定して、いどむことを「挑」と書きます。


English : Challenge
Italiano : sfida
Irlandese : Dúshlán
हिन्दी : चुनौती(chunautee)
Русский язык : вызов(vyzov)
Français:Défi
فارسی:چالش

2018年4月29日日曜日

剣 sword

ケン(ken)、つるぎ(tsurugi)

元の字は、という文字です。
僕の祖父が、「劍一(ケンイチ)」という名前でした。
鼻の高く鋭い形で、この名前とのバランスがいいな。
と、子供の頃感じたものです。
さて、この「剣」ですが、読みの元になっているのは、
「僉(セン)」という左側にあたる文字です。
この文字は、二人並んで、祝う姿を表しています。
我が国の「神器」の中にも、「剣」があるように、
儀式には「邪」を撃ち祓うために、これが必要不可欠でした。
「りっとう」は「刀」表していて、儀式の中で、
「帯刀」することを「剣」としていましたが、
やがて、左右に刃を持つものを「剣」

片刃であるものが「刀」ということになります。



English : sword
Italiano : Una spada
Irlandese : A claíomh
हिन्दी : एक तलवार(ek talavaar)
Русский язык : Меч(Mech)
Français:Une épée
فارسی:یک شمشیر

2018年4月18日水曜日

縁 Do not judge of others by yourself. 



エン(en)、タン(tan)、ふち(fuchi)、へりかざり(herikazari)

読みの「エン」は、右側の「彖(タン)」からきています。
織物のヘリをほつれを防ぐために飾っている部分を「縁」と言い、
「へりかざり」の意味です。
 現在では、「タン」とは読まれませんが、
「ヘリ」の部分は「沿辺(エンベン)」と読まれることから、
この「エン」が残ったと考えられています。
※ 白川静 常用字解より一部引用


ほつれないように大切に扱うこと

この文字が、「人」や「ことがら」の間柄に使われるようになったのは、
この「エン」と言う音からイメージされる「丸さ」と、
また、
この言葉は仏教用語であったため、
関係性を強める力があるように思われる言葉です。
”何かありがたい言葉のように聞こえる。”
もちろん、ありがたい言葉が発端になっています。
「因縁生起(いんねんしょうき)」というお釈迦様の言葉があって、
「縁起(えんぎ)」の元になっている言葉です。
「因」「原因」「縁」「条件」を指し、この次に「果」があり、
「結果」を指します。
この三つが揃って、人間の営みが出来上がっている。という教えです。

これを考えると、何でもかんでも「縁」が全てということではない
ということがわかります。
なぜかというと、
その「縁」の全てが、いい結果をうむとは限らないからです。
いい結果とするためにどうするべきか。
と、考えるための条件であるのが「縁」であるからです。
よって、「縁」は「課題」でもあるのです。
「縁」を良きものにするためには、「恩」が必要です。
「因」が台車であるならば、
「縁」と「恩」の両輪があって、良い「果」に結ばれる。
「縁」と「怨」が両輪になれば、悪い「果」に結ばれる。
何れにしても、「縁」をどう扱うかによって、
人と人とが幸せになれるかどうかが決まってくるのですね。
「縁」は結果ではなくて、「巡り合わせ」という始まりなのです。
だから、その時に両手をあげて大喜びしたり一喜一憂するのではなく、
たくさんの時間を惜しみなく、互いの理解のためにそそぎ、
どれだけ相手を感謝し、どれだけ相手を赦せるか。
そこにあるのだと、「縁」は語っています。

English : fate
Italiano : rapporto
Irlandese : Faction
हिन्दी : संबंध(sambandh)
Русский язык : связь(svyaz')
Français:Faction
فارسی:فساد






2018年4月13日金曜日

陽 A ray of sunlight.



ヨウ(you)、ひ(hi)、あたたかい(atatakai)、いつわる(itsuwaru)

・人の精気をみなぎらせる力

台の上に玉を置いて、下に光が放射する姿を表したのが、
「昜」です。
この字の読みは、右の「昜(ヨウ:you)」からきていて、

玉の光には、人々の中にある「精気」を活発にして、
そのエネルギーのようなものを盛んにする働きがあると、
古代から考えられていました。
これを、「魂振り(たまふり)」と言います。
パワーストーンなどがよく売られていますが、
最近の商いではなく、
いにしえからこの考え方が人々には定着していたようです。
左の「阝(ふ)」は、神が天上から降りてくる梯子を示していて、
その梯子の前に玉をおくことから、
神のご威光を表す言葉として「陽」が生まれました。

・「陽」も「陰」も、「氣」。

物事には、「陰」「陽」があります。
どちらかの量が多すぎると、バランスを崩してしましますが、
人間はどちらかというと、「陽」を好みます。
暗いところから生まれてきたためとも言われますが、
その場合、性格などを表すので、
「明暗」と表現する方がいいでしょう。
「陰」も「陽」も、「氣」を表しています。
氣の持ち方と、性格とは似て非なるもので、
例えば、すごく面白い元気な芸を見せてくれるのに、
プライベートはひたすら暗いと言われる、芸人さんもいます。
それはひょっとすると、
光が心や視界に差し込む「陽」の瞬間に、
「生きる」ことの確かさを見出しているからかもしれません。

重たく厚い雲に覆われているかのような時間が続くときが、
人生には、たくさんあります。
光がいつ、差してくるのかもわからなくて、
もう疲れて歩みを止めてしまうこともあります。
黙ってそこにいても、陽は差してこないということを、
わかっているのに、できない時。
そんな時は、無理して歩かなくても良いと僕は思います。
でも、いつかは歩くのだ。と、自分に誓っていればそれでいいのです。
そして、歩いてもいないのに、もし陽がさしてくる瞬間に出会えたら、
その時はまた、少しでも歩を進めてみましょう。
なぜなら、歩みを止めても、天は動いているのですから。

それが、「機」であり、「氣」です。


English : Yang
italiano : sole
irlandese : Yang
हिन्दी : सूर्य(soory)
Русский язык : солнце(solntse)
Français:Yang


فارسی:یانگ

2018年4月11日水曜日

泉 Experience is the source of knowledge. 



セン(sen)、いずみ(izumi)、わきみず(waki-mizu)
を言います。
見た目でいうと、こんな感じです。


実は、こちらのイメージを文字にしたものがまだあり、
 「原(ゲン:gen)(はら:hara)」と書かれています。
この字の元は「厂(カン:kan)」の下に「泉」を加えていて、
「厂」がを表しています。
これを「源(ゲン:gen)(みなもと:minamoto)」と言います。

 ちょっと面白いのが、
「銭(ぜに:zeni)(セン:sen)」は、
音が同じなので、「泉」と表すようにもなります。
一世紀ごろ、貨幣のことを銭貨(センカ)と言いましたが、
やがて貨泉(カセン)と使うようになり、
関係性は認められませんが、「源泉徴収票」と使われるのは、
まさに、「金の出どころ」を表す言葉なのですね。
そうかどうかはわかりませんが、こういったことから、
人間は、泉を見るとすぐ「コイン」を投げたくなるのでしょう。、、か?

English : Fountain
italiano : fontana
irlandese : Fountain
हिन्दी : फव्वारा (phavvaara)
Русский язык : фонтан(fontan)
Français:Fontaine
فارسی:چشمه





2018年4月6日金曜日

夢 To sleep, perchance to dream..



ム(mu)、バク(baku)、ゆめ(yume)、ゆめみる(yumemiru)
と、読まれている、日本人の好きな漢字の一つです。

元は、「莧(カン:kan)ヒユという植物」と、「夕」を合わせた言葉。
莧(カン:kan)は、巫女が座っている姿です。
この巫女が、先祖の墓で祈る姿が「寛(カン、ゆるい、ひろやか)」。
夢は、夜(夕)の睡眠中に、
巫女が霊を操って現れるものとされていたので、
このような文字になりました。
よって、深層心理的な意味合いとされたのは、
この文字が現れてからずっと後のことでした。
その当時、位の高い人が亡くなることを「薨(こう)」と言い、
位の高い人は、度々、何かの呪術や怨念、「夢魔」によって、
夢に恐ろしいものが現れ、これに命を奪われると考えられたので、

「夢」と似たような文字になりました。

English : dream
italiano : Un sogno
irlandese : Aisling
हिन्दी : एक सपना (ek sapana<)
Русский язык : Мечта(Mechta)
Français:Un rêve
فارسی:یک رویا



Thank you for reading today.

2018年3月25日日曜日

颯 This word leaves the spectator with nifty feelings.

・さわやかに、名残を愛でる言葉。

サツ(satsu)、ソウ(sou)、はやて(hayate)と、読まれます。

左側の「立(リツ:ritsu)」が、
読みの元になっているという説もありますが、
サツというよりは、「サッ」と、
風が吹き抜ける音の形容や擬音に近いもののようです。
ちなみに、「さっと」で変換すると、「颯と」と出てきます。

「立」は「位(くらい:kurai)」を表す言葉で、
「風(かぜ:kaze)」は、気候による現象そのものよりも、
神聖な鳥や、龍が起こす現象としてあらわされたものです。
「几(つくえ:tsukue)」は、
「鳳凰(ほうおう:hou-ou)」のように、聖なる鳥に由来し、
「虫(むし:mushi)」は、
爬虫類であろう「龍(りゅう:ryuu)」をあらわしています。
なので、神を感じるかのような、素早く清々しい様。
というのが、この文字の示すところでしょう。
ちなみに、「風」の部首は、「風」そのままです。




2018年3月23日金曜日

最 I love you the most in the world.

・「ICHIBAAN!!」

我が国では、

サイ(sai)、もっとも(mottomo)、
とる(toru)、あつめる(atsumeru)

と、読まれ、

最高(sai-kou : The best)、最大(sai-dai : maximum)、
特に、「第一」という意味合いで使います。
海外の方に伝わりやすいのは、
「ICHIBAAN!!」でしょうか。

英語で「most」
ラテン語でも「most」
フランス語で「La plupart
イタリア語で「più


・戦利品の多さが成り立ち

古代に、戦での戦利品が「耳」だったことから、
その数の多いものが、功労者として称えられました。
それを頭巾に入れて運んだ様子です。

こんな感じ。

・このように書いてます。I am writing like this.




2018年3月17日土曜日

霧 The sun dispels the fog.


ム(mu)、ボウ(bou)、きり(kiri)

・地氣と天氣がぶつかり合った



霧が晴れるように、
さっと消え去ることを「霧消(むしょう:mu-shou)」
と言います。

昔から、地の氣が天の氣と反応して起こるのが霧とされていて、
あめかんむりの下の務(つとめる:tsuto-me-ru)は、
農耕に従事することを言うので、
霧がかかると農地になんらかのもたらしがあることから、
ム(mu)と発音し天候を表す文字が成立したと推測されています。

やがて、これが天候だけではなく、
情緒や、情景、気分などを表す言葉となります。
なんとなく、葛藤や哀愁が表現されるのはそのせいなのでしょうか。

・霧と霞の違い


数年前、広島市に住んでいた頃、
よく一人で宮島へ通いました。
住んでいたのが佐伯区だったので、
バスと広電でのんびりと向かったものです。

霧も霞(かすみ:kasumi)も靄(もや:moya)も、
文学的には同じものではありますが、
近くしか見渡せない状態を、霧。
遠くまで識別できる状態を、靄というのだそうです。

この言葉の分け方は、俳句によく使われます。
春を霞。秋を霧。と季語では使われています。

宮島の小高い場所から眺める、夕暮れ時の茶屋から眺める、
岩国の街明かりが、満開の桜で霞にかかってぼんやりと美しかった。
景色はぼんやりだったけれど、
記憶ははっきりとしています。
その差異が、心に深く刻まれているのでしょう。

その時の情景を、以前、作品の背景にしたものです。






2018年3月16日金曜日

雅 Elegance and beauty of movement or expression






ガ(ga)、ア(a)、みやび(miyabi)、みやびやか(miyabiyaka)
ただしい(tada-shii)

・実は、「烏(clow:karasu)」の仲間のこと

隹(スイ:sui)とつく漢字は、小鳥が元になっています。
そこに読みの音として隣にくっついたり、
下で持ち上げたりする役目の文字が加わることがよくあります。
この場合は、「牙(ガ:ga)」。

「牙(ガ:ga)」は、烏の鳴き声を表したものです。
これを、「みやび」な様に引用するまでは、
相当の時間がかかりました。
優雅さ。のイメージとしてあげられるのは、「舞」ですね。
この舞を、中国の貴族の中では「夏(カ)」と呼んでいました。
「夏」はもともと優雅に人が舞う後から見た様で、
加えて、その楽曲の歌詞を表しています。
でもなんとなく、この字そのものに優雅さを求めた結果、
音の似ている「雅」を借りてきたようです。
詩経という三千年くらい前の書物に、
その変遷が収められています。

・優雅さとは色気のこと

この春の始まりにふさわしい詩経の一節を紹介すると、
こんな感じです。

タイトルは、「おちて梅あり」。

摽有梅   おちて梅あり
其實七兮  其の実七つ
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其吉兮  其の吉におよべ
 
摽有梅   おちて梅あり
其實三兮  其の実三つ
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其今兮  其の今におよべ
 
摽有梅   おちて梅あり
頃筐塈之  けいきょう之をつく
求我庶士  我を求むるのしょし
迨其謂之  其の之をいふにおよべ

【ざっくり訳】
梅が落ちてます。
その実は七つ。
私めあての殿御方、
吉日選んでおいでなさい。
 
梅が落ちてます。
その実は三つ。
私めあての殿御方、
おいでになるなら今のうち。

梅が落ちてます。
手かごはからっぽ。
私めあての殿御方、
言い寄りなさい口づから。
※口づから:自分の言葉で。
つまり、「自分の言葉で口説いてごらんよ。」

アン・ルイスの「六本木心中」を匂わせるような歌詞ですね。

女性の色気は、小鳥のように表現されることが、
しばしばあります。
震えるような、捕まえていないと飛んで行ってしまいそうな。
そんな情緒を表すには、
「雅」がキャラクターとして良かったのかもしれません。
僕としてもこの方が賛成です。
「夏」は元から言えば、国の名前を表していましたし、
文字の使われ方も、風情によって変わるのですね。

・優雅さと上品さは似て非なるもの

この成り立ちのように、
「雅」はその意味を変化させてきました。
変化するということは、
いろいろな事情や事柄を巻き込んで、今に至るということなので、
唯一の意味合いを表現してはいません。
特に、日本に渡ってきてからは。

上品だから優雅である。という絶対的な関係性ではなく、
優雅さとは、人間の様々なありようを誰かや何かが表現して、
自分の価値観と照らし合わせて、「ああ、雅だな。」と。
例えば、
温泉に入って、花のひとひらが湯船に落ちてくる様を眺めて、
「雅だな。」
鼻の奥に抜けるウィスキーの薫りが、
脳の下の方で華開くその瞬間を味わって、
「雅だな。」
女性の背骨と肩甲骨の隆起を眺めて、
「雅だな。」

上品とはもともと仏教用語で、
品を九つに分けた「九品」から始まっています。
品とは、仏への帰依の度合いで分かれていて、
それによって、往生の状態が変わってくると言われるものです。
大きくは、上品、中品、下品。
これが、社会の中で所作や立ち居振る舞いに使われるようになりました。
品とは、思想や価値観を表し、
雅とは、状態を表しています。
芸術家がこの優雅さにとりつかれるのは、
あらゆる品を持つ人々に、新たな価値観や、思想を提案したい。
そして、それによって、誰かの力になることができたなら。
そういった、「いのり」のようなものが、
表現の背中を強く押すからなのではないかと、
僕はそう考えています。
そんな気持ちで、今回の書は書き上げたように思います。

今日は、長かったですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



🌟この書も、商品にしています。
よろしければ、どうぞお立ち寄りください。
⬇︎

2018年3月14日水曜日

氣 A feeling or energy surrounding a person, called aura.This is Qi.





おくりもの(okurimono)、くうき(kuuki)、キ(qi)

氣はすべての活動力の源泉です。

不可思議なものと、とらえられがちではありますね。
そうではありますが、そうでもなくあります。
それが「氣」です。

「氣」の元は、「气(キ)」。おおもとという意味です。
穀物である「米」は、このエネルギーがぎゅっと詰まっていることと、
おおもとを養うのに不可欠であるということから、
この文字になりました。
また、「氣」は「餼」とも書き「おくりもの」と読みます。

この書は、もうかなり前に書いたものです。
書にも「若さ」が滲み出るものです。
このころの僕は、今よりも勢いや未熟さがあったのですが、
「表現!」ということに一途だったよな。
と、この書を観じます。

作家としての僕の気持ちをぶっちゃけると、
あまり敷居の高い作品にしたくない。
という姿勢です。
食べるのも困るし、暮らしを考えると、
困ったなぁ。と落ち込んでしまうことも多々あります。
でも、偉くなりたいとは思わないのです。
たくさんの人のそばに、置かれたい。
ずいぶんと、個展もパフォーマンスも、
講演も経験させていただきましたが、
作家としては、やはり、誰かのそばにありたい。

そんな思いから、
先日、この書でいろいろ作ってみましたので、
嫌でなければ、どうぞこちら、
お立ち寄りくださいませ。

妙見堂







2018年3月12日月曜日

墨 I seem to polish a thing, a sword rubbing against a sumi.









すみ(sumi)、ボク(boku)<英> ink-cake

朝起きて一通りその日の準備を終えると必ず行っていたことが、
「墨をする」こと。
この業界では、
「墨を研ぐ」と使ったりします。
多分、筆は剣に勝る。ということからかもしれません。
幕末にはまさにそうなったわけでもありますから。

「何となく毎日の日課に取り入れたら、
漂う香りや、独特の音に何かがしっかり立ち上がってくれることに、
気づき始めました。」

2012年に起こしたこのブログの下書きでは、
こう書いていたのですが、
はっきり言って、今の僕にはむず痒い文章だな。
と、恥ずかしくなります。笑

今は、毎日は研いでいません。
確かに、日課として行うことはとっても大切なことだと思います。
けれども、三年くらいそれを続けみて、
その時間を書くことに使いたいな。と、閃いたからです。

今は、墨を研ぐことに費やす日を設けています。
それも、受注が入った時や、どうしても今日はこれがしたい。
というときです。

黒はもともと煤(すす)のことをいい、
これに土を混ぜて固形にしたので、この字が出来上がります。
やがて、漆や龍脳といった香料が加えられるようになりました。

「墨墨(ぼくぼく)と」墨をする。
などと使いますが、黙々と。という意味です。

情熱の焔は、いつも静かに燃えているもの。
激しく燃える炎は眩しすぎるし、周囲を焼き尽くすので、
いずれ鎮火されます。

僕の焔は、小さくゆらゆらと、
佇むように燈されていたいのです。


2018年3月10日土曜日

地 Keep your eyes on the stars, and your feet on the ground.



ち(chi)ジ(ji)


何事においても基本。
基本が、大切です。
基本はどのようにして、
地面のように自分をの足を支えてくれるのかというと、
たくさん真似して、たくさん反復すること。
そして、何度も希望を見上げ、確認すること。

僕は少しサボってきたけれど(笑)。

この文字の成り立ちは、
以前、「墜」と書いて土地の意味だったのですが、
「おちる」意味が強まり、
それじゃなんだかパッとしないというか、
縁起悪いということで、この字が生まれたのだとか。

この字は「神の降り立つところ」という意味です。
なぜ土に也なのかというと、
神職の医者が矢で病気を祓うときに、
土の上に病人を寝かせて、「ヤッ!!」と叫んだからです。
大昔では、改善、回復が何より奇跡に近く、
神の仕業だと考えたのでしょう。

それと同じように、基本という場所には、神のような、
そんな力が必ず宿っていて、
迷ったら必ずそれを祓ってくれるような気が、
たまにします。

Tシャツやグッズの販売を始めました。

いつもは時期が過ぎて、
毎年後悔していたのですが、
夏が来るまでに、
少しずつアイテムを増やして行こうと思います。

よろしければ、どうぞお立ち寄りください。


妙見堂 ショップ
https://clubt.jp/shop/S0000054446.html

2018年3月9日金曜日

逢  May you have a wonderful encounter.





あ-う(a-u)お-う(o-u)ホウ(hou)


「あう」という読みの漢字はたくさんありますが、
「めぐりあう」と読むのはこの字だけです。
「めぐって」「あう」のですから、
色んな因子が重なってこそようやく叶う「であい」のこと。

本来は、神秘的なものに出くわすことをいい、
夕闇の怪しい頃合を「逢魔時(あうまどき)」といいました。
今は、「遭」がその意味に近いかもしれません。

特には、この文字が使われる場合でいうと、
男女の時を表すことに用いられます。
僕もこの字を意識して使い分ける時があります。

しんにょうは「道」を表し、
「夆」は、「くだる」こと。
「神がおり降って、宿る木」のことをさしました。
神は幻想であったり、憧れであったりをあらわすので、
出逢えた時の感動の大きさによって、「逢」と使うようです。

その昔。

菅原道真公が太宰府へ左遷されたおり、
出立の前に、可愛がっていた一本の梅の木に
歌を詠んで別れを告げたそうです。

その梅が、
一夜にして太宰府へ道真公を追いかけて飛んで行ったことから、
「飛梅」とその梅は名付けられています。

おそらくは、
その梅は女性(にょしょう)だったのではないか。

そんな思いを巡らせて、
10年ほど前に僕が描かせていただいたのが、
手前味噌ではありますが、こちらです。



タイトルは、「逢梅(おうめ)」といい、



大信州酒造様より、現在も好評発売中でございます。


世の中のほとんどのことは、
「めぐりあわせ」によってもたらされているのだな。
と、このお仕事を承った時に、深く考えさせられたものです。

どうか、
それぞれの出逢い一つ一つが、
素晴らしい時間でありますように。

そんな想いを込めて。

2018年3月8日木曜日

音 Therefore be of sound mind, self-controlled, and sober in prayer.





おと(oto)・ね(ne)・オン(on)・イン(in)

と、読まれる文字です。

この文字をタイトルにするのは、
実は大変骨が折れる作業です笑

空気のように、この世に満ち溢れているということは、
感じること、理解の角度、想いの深さなどが、
人の数だけ存在するということに等しいので、
何をとっていいのか。

でも、僕なりにこの文字から感じることを書いてみましょう。

成り立ちとしては、

「立」に「日」。
ですが源字では「言」に「日」です。
日は祝詞をいれた箱で、
ここに言霊を降ろし、神の言葉を聞く。
とするという意味合いから生まれた文字だそうです。
「日」は誓いの言葉を入れた器で、
その上に刑罰に使う針を立てている姿で、
これに欺いた時、この針で入れ墨の刑に処されるのだそうです。
よって、一つは、祈る言葉を「音」と表現し、
もう一つは、その祈りに神が反応する時に、
「音」をかすかに立てるので、そのひびきを指しています。
            ※白川静 常用字解より引用


素晴らしい音楽に、
神がかり的なエネルギーを時折感じるのは、
このせいかも知れないな。

と、それに出逢うたびに考えます。

特に、人の歌声には、祈りのような、誓いのような。
そういった崇高な部分が混在していると、
やはり、シンガーや作曲家、
作詞家、アレンジャーと呼ばれる人々は、
どこかで選ばれた人なのかもしれず、
多くの人の祈りを「音」に乗せて、
言葉を超えたメッセージとして、
伝え続ける人なのかもしれません。

方や、僕にはどうしても、いつ耳にしても、
ほろっときてしまう音楽のスタイルがあります。

少年少女の歌声です。

今はちょうど卒業の時期ですよね。

たくさんの声が集まって奏でられる音には、
無垢な祈りがなんだかいっぱいに詰まっているような気がして、
泣けちゃいます。

タイトルに付け加えた英文は、
聖書からの引用です。
Therefore be of sound mind, self-controlled, and sober in prayer.
“ですから、健全な思いを持ち、自制し、冷静に祈っていなさい。”
この前には、「世界の終わりが近づいています。」

とあるのですが、始まりがあれば必ず終わりがありますよ。
という意味あいかな。と仏教徒の僕は解釈しています。

メロディやハーモニーになっていなくとも、
「声音」や「物音」に心がグっと持っていかれることも、
ありますよね。
「自分の心の音に、じっと耳をそばだてること。」
それがどんな音なのかは、その人にしかわかりません。
その音の佇まいにしたがって、人は歩みを進めて行くもの。
すなわち、素直であることで、
いずれ、他人様の「心の音」も、
ちゃんと聞こえ汲み取れてくるような気がしています。

自分が自分である。
というのは、誓いにも似たようなもの。

「らしさ」とは、「音」そのもののようです。

この、成り立ちのせいなのかもしれませんね。

2018年3月7日水曜日

色 colors




日本語では「色(いろ:iro、シキ:shiki、ショク:shoku)」
と読まれます。

音読みの一字の読み方は、
仏教的な色合いが強く、「目に見える存在」。
つまり物質的存在という意味です。

真言密教では、五色(ごしき)に分けられ、
如来の姿の一つ一つを表しています。

漢字の成り立ちは次の通りで、

字の成り立ちは、ちょうど、
男性が女性を後ろから抱きしめている形です。

この形と、
紅潮してゆく女性の顔が暗闇から、
明らかにあらわれることから、

「いろどり、つややか、けしきばむ、うつくしい」
などという意味で使われるようになりました。

色っぽいとは、この辺りからきているようです。

「あきらか」であること。
すなわち「実体、現象」をいいます。
と、考えると、前述の仏教的な背景もあることが伺えます。

「色情」などと使われることもありますが、
行き過ぎると、これが毒となって人間の中に蓄積し、
悪い結果がもたらされると言われますが、

人間としての生業には、必要なことでもあります。

仏教が伝えることとは、
いたってシンプルで、

「ほどほど」

ということなのですが、、、。

僕にもこれがなかなか難しいんですよね。

2018年3月4日日曜日

教 Age and experience teach wisdom.




「習字と書道は何が違うのですか??」とよく訊ねられます。

僕の解釈でしか答えることが出来ないのですが、

自分の我や個性を極限まで削り落とし、
文字そのものの意味と,
個性美を的確に伝える技の鍛錬が習字。

これを踏まえて、自分のすべてを文字に委ね、
爆発させ、頭の中を灰にすることの出来る場所が、
僕にとっての書道です。

人によって、書道の意味の立ち位置は違うと思うので、

それぞれにこの疑問に対して死ぬまで向き合ってゆく人のことを、
書道家というのではないかな。

でも、僕は、この書を元にしていろいろなアプローチで、
見たもの、感じるものなどを表現し、制作します。

なので、書作家と、自分ではそう言います。

「家」とつく生業は、
商売とは思っておらず、
現代にはなかなかそぐわないかもしれないけれど、
「生き様」の事をさすことのほうが、
なんだか僕にはしっくりくるんですよ。

なんて、実はまだ道の途中で、うまく言えないんですがね。

そんなわけで、本日はお手本的に楷書で書いてみました。

左の「孝」は文字の原意とはかけ離れたもので、
本来は神社の屋根の両端に飾られた「千木(ちぎ)」を表す文字でした。
従って、神聖な場所に貴族の子弟を集め、
長老が伝統と儀礼を受け継がせる教育機関を示します。

自分が教えることによって、
教わることのほうが多い僕の今までの経験だったように思います。
それは、書道以外のことでもです。

2018年3月3日土曜日

結 To form a connection with some one








「これも何かの縁ですから。」

このセリフが、僕は嫌いです。

天邪鬼と言われても仕方がないのかもしれませんが、
「縁」はスタートではないと思っているからです。
特に、仕事で巡り合って、少し時間の経った頃、
酒の席なんかでこの言葉が出てくると、
一気に酔いが覚めて、苦笑いなんかをしてしまいます。
その人のキャラクターにもよりますが、
例えばもうだいぶ慣れ親しんだ友人なんかには、
なんとなしにそういう価値観を当ててみたりします。

だけど、それ以外に出会いに感謝を表す言葉があるの?

そうですね。

あえて使うならば、「巡り合わせ」に感謝する。
でしょうか。

じゃあ、そういう風に言える人っているの?

いたんですよ!過去に四人も!

やっぱり、「縁」という言葉にちょっと違和感を感じる。
と聞きました。

その人と本当に縁が結ばれたかどうかは、
きっと、かなり後になってからでないと、
わからないからかもしれません。

「巡り合わせ」は必ず誰にでもある。
でも、「縁」はなんだかその事実を特別なものに感じることで、
「大切に知るべき。だよね。」
といった、暗黙の責務みたいなものを匂わすような気がします。

だから、僕はあまり「縁」という言葉は使わなくって、
むしろ、心がこの言葉を使わせてくれるタイミングを待っている。
そんな言葉です。

この話は、くどくなるのでまたにしましょう。

さて、それを「むすぶ」書ですが、

右の「士」に「口」は、もののふが聖なる器を守っている姿で、
器に宿る霊力を封じ込める意味があります。
古代、神事に仕えるもののふを「吉士」といい、
発する言葉はみな善とされていたので、
この言葉を書き、器に収め、
むすぶ行為を「善きことを約束(締結)する」儀式としました。
これに用いられた紐を、祝い紐といい、むすぶことそのものを、
霊力を宿す行為としました。(白川静 常用字解より)

今となっては、SNSなんかで、
「友達かも」
なんてお知らせが出てきてしまう時代。

それが、不吉なお知らせかもしれないし、
本当に人生を豊かにしてくれるお知らせかも知れない。

そこを吟味して、
小さな結び目をいくつも作って行くことも、
つながるという意味では一緒でないでしょうか。



2018年3月2日金曜日

情 What do you think about empathy?







右の「青」は、鉱物の中で最も貴重とされていた「丹青(たんせい)」
という緑色に近い青色を差しています。

丹青は変色しないことから、その美しさを「善意」や「尊さ」と観て、
追い焦がれる心の様としたのが、

「情」という字です。

やがて「本能」そのものをさし、

他人にそれを求め追う意味を含むようになりますが、
いずれにしても、「なさけ」とは、変わらぬ思い。
を、表しています。

ただ、それは、「ある程度変わることのない思い入れ」

と言った方がわかりやすいかもしれません。

これが深まると、「誓い」となりますので、
さらに自分に向けた心のあり方を意味するようになるからです。

人間は、心で動いていますから、
逆を言うと、心が動くこともまた人間です。

どう他人様と向き合って行くべきか。

この世で生活して行く以上、
どこまでもそれは追いかけてくるものです。

本来、人間には他人と仲良くし、理解したいという本能が、
脳には備わっているのだそうです。

けれども、人は、自分の都合でほぼ行動を決定しています。
いくら高潔な精神を掲げていても、
相手の都合だけに振り回されて、
自分が傷つき、壊れてしまっては元も子もありませんよね。

書を起こし、意味や成り立ちを紐解いていると、
素晴らしいな。と思うと同時に、
大昔の、まだこの世に便利さの追求が未成熟で、
そんな時代に憧れのような嫉妬のような感覚が芽生えてしまうのも、
僕の「情」です。

ですから、この「情」をとってみると、
心という軸は軸で深く根付かせて、
貴重で美しい部分は、
所有している絵画のように眺めるくらいの姿勢の方が、
いざという時に、自分も守り、
他人様にも伝わるように感じています。